読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

テンカンポチェ6500m 南稜(仮名) 遠征

 今回、登ることが出来なかったが、3月25日からの遠征記録を少しずつ書いていきたいと思う。

 私は一週間遅れの後発隊で出発したため後発隊のスケジュールとなる。また、トレッキングピークコンデリ隊と合同となり、コンデリ隊3名登頂するまでコンデリ隊と同行程。また、テンカンポチェのガイドもコンデリ登頂に協力することにもなり、コンデリ隊下山後、私達はABCへ移ることになるが、私はこれが大きな敗退原因と考えている。別行程、スケジュールで行けば、もっとテンカンポチェ隊は早くABCに入れたはず。大金払って、コンデリ隊のついでにプラスで行程を組まれたことに大変不満を持っており、納得していない。行く前から大きな不安のある隊だったが、想像通りになってしまった。ABCに入るのが遅れたため、1チャンスしかなく時間切れが敗退原因と私は考えている。他メンバーは天候を理由にしているが。

 3月25日 キャセイパシフィックで香港経由カトマンズ23時ごろ着。

 3月26日 カトマンズで装備確認など準備。

 3月27日 カトマンズからルクラ2800mへ飛行機で移動。エベレスト街道Koshi2600mまで移動、

 小屋泊

 3月28日 koshiからyak kharka3600mトレッキング。この日からテント泊

 3月29日 高度順応で4000mまでハイキング。 yak kharka泊

 3月30日 yak kharkaーlumding kharka3900m。4300mの峠越えをする。 lumding泊

 先発隊と合流。雪が続きポーターがストライキしたため、4日ほど行程が遅れていた。

 3月31日 高度順応で4850mのコンデリBCまでハイキング。lumding泊

 4月1日  休養 lumding泊

 4月2日  移動予定であったが雪のため lumding泊

 4月3日  コンデリBC480mへトレッキング。BC泊

 4月4日  テンカンポチェABC5080m荷揚げ BC泊

 4月5日  コンデリBC 休養

 4月6日  ABCへ荷揚げ (テンカンポチェガイドはコンデリサポート行く) コンデリBC泊

 4月7日  ガイドがコンデリ隊サポート入る為、私達は休養。私一人でコンデリHC5200mハイキ ング。コンデリ隊3人登頂 コンデリBC泊

 4月8日  コンデリ隊が下山。テンカンポチェ隊、ABCへ移動し 泊まり。

 4月9日  C1手前5400Mあたりまで荷揚げ ABC泊

 4月10日 休養 ABC泊

 4月11日 C15500mまで荷揚げと高度順応 ABC泊

 4月12日 休養 ABC泊 一人体調回復せず lumding3900mまで下りる

 4月13日 ABCからC1登攀 ガイドはC2までルート工作  C1泊

 4月14日 C1からC2 6050Mまで登攀 C2泊まり

 4月15日 14日夕方から雷、暴風雪、積雪多々あり、6時テントなど残置し下山することになる。

 ABCまで撤退。

 4月16日 休養。私は17日C2、18日登頂ーC1、19日下山で再トライを提案する。しかし、3900M まで体調を崩して下りたメンバーの体調が回復しないと連絡あり。私以外のメンバーは体力的に再トライは難しいという。体調崩したメンバーをヘリ搬送するために、ガイドと隊長が下山したいという。私一人の我がままで、それ以上上に行きたいとは言えず悔しいが、これで終了。私の体調は完ぺきだったので悔しいの一言。

 4月17日 ABC泊。ガイド他へパール人サポーターは、C2に残してきた装備の回収。隊長、ガイドは下山し、隊長と他1名ヘリ搬送する。私、他2名は休養

 4月18日 ABC−lumuding泊まり

 4月19日 ポーター手配できなかったため、サポーター荷さげのため日本人隊員は休養

 4月20日 lumdingからyak kharka泊まり 

 4月21日 lumding泊まり ポーター手配できなかったため荷さげたため日本人隊員は休養

テント泊まり最終

 4月22日 yak kharkaからルクラ 小屋泊まり。残った日本人隊員3名、ネパール人スタッフ17  名で打ち上げ。

 4月23日 悪天候のため飛行機飛ばず休養。

 4月24日 ルクラーカトマンズ

 4月25日 装備整理確認

 4月26日 装備整理確認

 4月27日 買い物

 4月28日 買い物、観光

 4月29日 朝から14時ごろまで岩登り、その後20時に飛行場へ移動、キャセイで香港へ

 4月30日 香港経由で帰国

 今年は、春のおとずれが遅く、10日に1回は積雪あり移動に時間がかかった。膝上ラッセルもあり、現地ポーターを手配することが出来ず、サポーター17名が往復荷揚げを数回行ったため、移動がスムーズにできなかった。

 力のあるガイドだったため、ルート工作はすべてガイドが短期間で行ったため、時間さえあれば山頂を踏める可能性が高かったと思う。しかし、初めに書いた通り時間がなかった?なかったわけでもないと思うが、皆の体力、モチベーションが低かった?私も5500m超えてからは高度障害がでてきてしんどかったが、ゆっくり十分歩ける力は残っていた・・くやしい。

 ガイドに、1人でこの遠征を組んだらいくらかかると聞いたら300万弱・・・やはり一人では無理。コンデリみたいにトレッキングピークなら絶対一人で手配していくが、エクスペディションは人が集まらなければ行けない。今回、他に参加するメンバー4名がいたからこそ、やはり挑戦できた山なんですよね。

 遠征・・・いろいろ考えさせられます。9年前のツラギもそうでしたが。