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五年ぶり

 先週の土曜は朝からマンションの臨時理事会にでる。終わったのは正午少し前。昼食は取らずに、家人とまた御府内八十八か所巡りにでかける。巡礼もいよいよ最終の局面に至っている。この日は、京急で横浜にでて、湘南新宿ラインに乗り換え、新宿でさらに京王線に乗り換える。京王線はあまりなじみがない。千歳烏山駅で下車し、最初の寺に向かう。多聞院というところ。そのあと高速道路に沿ってあるき、玉川上水第二公園というところを通る。太宰が死んだのはどこであろうか。二つ目の寺は永福町駅をこえ神田川に近い文殊院という寺。これが八十八番目ということになっている。もとは違うところにあったが、転々としてここにきた。途中、古びた総菜屋で今川焼を買う。あんこがたっぷり入っていて、なかなかよかった。この日は二つのみだったが、出発時間遅かったこともあって、帰りは夕方になる。これでの残すところは成増と神奈川県の秦野にある寺のみとなった。

 翌日は、五月から始まる松下育男さんの詩の教室の打合せにでかける。出掛けにぼうっとしていて、家を出るのが遅れる。石川町の労働プラザというのが集合場所。二十年くらい前に仕事で行ったような記憶がある。石川町駅を中華街と反対側にいく。近くには寿町があって、少し前まではドヤ街であった。目指す建物は大きくてきれいなビルになっていた。八階の食堂にはすでに松下さん、坂多さん、和田さんが来ていた。松下さんとは五年ぶりくらいに会ったが少しも変わっていない。この年になると五年というのは大した時間ではないのかもしれない。つい先日会ったばかりのような感じで、教室の進行やもろもろの詩の話をする。話していると、どうしても一九七〇年代後半の古い詩の話を持ち出してしまう。考えてみれば、自分にとっての詩は、この時期のものから少しも変わってない感じがする。

 松下さんがぽろっと話す詩のことは、相変わらず鋭い。しかし会話を楽しんでいるうちにいつもそのことを忘れてしまう。何か重大な話がでてたよな、と後で思い出そうとするのだが、どういうわけか思い出せない。自分の詩を変える、ということは外に出て行って拡張することではなく、はじめに戻る、ということではないか、という話があったことは覚えている。変化とか生成を、進化論や移動のようなものとして考えることに馴れきっているのがわれわれだが、こういうことも少し考え直した方がいいのかもしれない。戻る、ということも、時間や行路を遡ること、という風に考えてしまいがちだが、これは少し違うのかもしれない。てなことをちょっと考えた。

 帰りは天気が良かったので、新杉田駅から自宅まで歩いて帰った。